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春に向かってエスパ~ドン!/KANELL "ESPADON"(2023.02.17) [KNIT]

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みなさん、こんにちは。

141です。

今日の新潟は、陽射しが強くて眩しいくらいです。

こんな日の撮影はコントラストが強く出すぎちゃうので、
少し奥まった日の当たらないところで撮影します。

まだまだ気温は低くてカメラを持つ手もひんやりです。

ブログを書いている最中も、
足が椅子の脚の金属部分に触れるとすんご~く冷たいです(笑)。

それでも晴れているとちょっぴりウキウキしますネ。

休みだったらどこに行こうか、なんて妄想しながら。。


そんな今日は先週に引き続きカネルのニットを使って、
春が待ち遠しいコーディネートを!

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KANELL "ESPADON" ¥21,780
MADE IN FRANCE.

フィールズ・ダルボー時代から、
ドゥエルヌネ→ペンサーディン→エスパドンと
名前を替えながら進化してきたコットン・セーターです。


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『漁師編み』と呼ばれる、いわゆる畔編み。

ということは、
フランス版のフィッシャーマン・セーター。

屈強で心優しき海の男たちのセーターです。

ガーンジーと何か通じるところもありますが、
また一味違うタフなニットです。

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エスパドンになってからのディティール。

リブに、編み込みの切り替えが。

さりげなくポイントになっていい感じ。

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一番の特徴。

ショルダー部の独特のパターン。

これは専用の編み機でないと出来ない仕様。

きちんと継承されております。


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私物のドゥエルヌネと。

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もう何年?何十回洗ったんだろう。

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色は抜け始めていますが、型崩れなし。

コットンの油脂分が抜けて、
ガリっとしてくるとさらにいい感じに
なっていくとおもいますが・・・

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・・・こんなに着てもまだまだなのは、
さすが海の男の作業着!




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こちらはエスパドンのミルク。

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爽やか。

これもかなり使えます。



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ではマリンを使ってのコーディネートを。


春になったら一枚で着たいけど、
今はまだまだ寒いですね。


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そこでDCホワイトのリーファー・ジャケットをさっと羽織って。

これも海由来のアイテムなので、相性バッチリ。

これも自前です。

この冬大活躍、ってか、まだまだ春まで着続けますよ~。

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ネイビーXネイビーでちょっとシンプルすぎるので、
スメドレーのマフラーを『挿し色』に。

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パンツもおフランスざんす。

これ、一回洗うと表情が激変。

たたみシワが取れ、フラップがまくれたり、
アタリもいい感じに。

これは敢えて洗濯後に干すときには、
テキトーに吊るしています。

このカーキの方は在庫もそこそこあったんですが、
とうとうサイズ切れも発生!

こんだけ手の込んだ『MADE IN FRANCE』が
こんなプライスで買えるなんて!

きっと20年後に孫に話したら、
誰も信じてくれないでしょう(笑)。


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海アイテムにはブルー・オーシャン。

マランジュのジャボーです。


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KANELL "ESPADON" ¥21,780
MADE IN FRANCE.


☆OUTER D.C.WHITE " REEFER JACKET" ¥85,800

☆MUFFLER JOHN SMEDLEY "GERMAIN"  ¥22,000

☆BOTTOM BERJAC "ARMY TROUSER M47" ¥17,930

☆SHOES JOSEPH MALINGE "JABOT" BLEU OCEAN ¥75,900




☆OMAKE 『小さな恩返し』(再掲)

毎日テレビのニュースからは、目をそむけたくなるような
悲惨な映像が飛び込んできますね。

2011年の3月にはこんなブログを書いていました。


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毎日、毎日、もう沢山だ、と言いたくなるほどの映像がTVから流れてきますが、
どうかみなさま、前向きな気持ちでがんばりましょう!

今日のブログはあるストーリーをご紹介したいとおもいます。


『エルトゥールル号、遭難』


1890年9月、紀伊半島は記録的な超大型台風による暴風雨に晒されていました。

その渦中には、トルコ船籍の軍艦エルトゥールル号が荒波にもまれていました。


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乗り組員700人を超える大所帯の老朽艦です。

そして、そのエルトゥールル号は、紀伊大島沖の岩礁で座礁します。

木造館の竜骨は折れ、さらに水蒸気爆発を起こしました。

水蒸気爆発とは、
高温の機関部に接触した大量の海水が水素と酸素に分離し、
その水素に着火、爆発する現象です。

現在問題の、
原発で言われている水蒸気爆発とはこのことを指しているのだとおもいます。



数百名のオスマントルコ軍人の命が失われました。

しかし、中には命を取りとめた船員もいます。

彼らは満身創痍になりながらも
防風雨の中灯台の灯りを目指して泳ぎ続けました。

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しかしたどり着いた陸地からは断崖絶壁が続き、
そのてっぺんに灯台がありました。

彼らはその絶壁を必死でよじ登ります。



灯台守は深夜、扉を叩く音に驚きます。

現れたのは、助けを求める傷だらけの大男。

当時の日本人が見たことのない外国人の姿。

突然現れた彼らの姿を見て、
紀伊大島の住人の驚き、混乱は想像に難くありません。



しかし、言葉は通じませんが
多くが漁師であった島民はその状況を直ちに理解しました。

同じ海に生きる人として。

全住民は総出で救助にあたりました。

暴風雨の中、今とは比べ物にならない簡単な装備で。

命綱一本で崖を降り、波に飲まれそうな船員を引き上げました。

そして出来るだけの薬品、食料、衣類がかき集められました。



台風シーズンのこの状況では定期便は止まり、
出漁も出来ず島では食料、日用品も枯渇していました。

そんなぎりぎりの状態でも、
彼らは非常用の鶏を潰してまでも彼らに与え介護にあたりました。

暖房も足りず、彼らはひと肌で生存者を温めました。

住民は、まさに献身的に遭難者の命を救ったのです。



この結果69名の命が救われました。

そして亡くなったかたたちは丁重に埋葬され、
生存者は日本海軍の軍艦により、イスタンブールへと無事送り届けられました。

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エルトゥールル号遭難から95年後。

イラン・イラク戦争。


1985年3月17日 サダム・フセインによる宣告。

『3月19日20時30分以降、
イラン上空を飛ぶ全ての航空機は敵機とみなしこれを撃墜する』

事実上の鎖国宣言。

この異常宣告を受け、各国は直ちに自国民の救出を決定。

215人の邦人を抱える日本も同様です。

しかし、自衛隊機は憲法に抵触しフライト出来ず。

そこで日本政府は日本航空に依頼。

日本航空では、パイロットをはじめ乗員の志願があったものの、
タイムリミットまでの猶予も少なく、
帰路の安全が確保できない、との理由でフライトを拒否。

そこで日本政府は、他国に援助要請。

しかし自国で手一杯で、日本に手を差し伸べる国はありませんでした。

この瞬間、
イランの空港に集まった邦人215人のイラン国外脱出の望みは絶たれました。
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3月19日 19時  タイムリミットまであと90分


その時です。

尾翼に赤いマークの入った航空機が2機空港に着陸。


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トルコ航空ボーイング727


『さぁ、日本人のみなさんはこの飛行機に乗ってください!』

『さぁ、早く!!!』


一機目には全ての日本人を収容。

そして二機目にはトルコ人を。


エンジンは出力を維持。

離陸許可申請。

タキシング。


そして離陸!

離陸後もコックピットは緊張に包まれます。

イラン上空で、ミサイルや戦闘機の襲来の危機に晒されていたからです。

1982年の大韓航空機撃墜のニュースも冷めやらぬこの時。



そして二機がイラン領空を超えたのは
タイムリミットぎりぎりでした。

イラン国内には、
この飛行機で脱出出来なかった多くのトルコ人が取り残されました。

彼らは、陸路を危険を冒して国境を目指しました。



しかし、トルコ航空、トルコ政府は日本人の救出を最優先させたにも関わらず、
それに対しトルコ国内から不満の声は上がりませんでした。




でも、それは何故?

何故日本人を優先?

当時の我々日本人は知りませんでした。


このことを。


イラン在住トルコ大使が語った言葉です。


『トルコ人は誰でもエルトゥールル号の遭難とその恩義を知っています。

だからその恩返しをさせていただきます』と。


また、トルコ航空のクルーは

『ほんの小さな恩返しです』

と語ったそうです。


エルトゥールル号の遭難事件と救出劇は
今でもトルコの歴史教科書に掲載され、
多くのトルコ国民が知っているそうです。



大自然の驚異

献身的な救助

小さな恩返し


今の自分には何が出来るのか?


↑2011年以来、トルコのことが話題になると必ずこのことを思い出します。

エルトゥールル号遭難は、その後映画化されましたので、
ご存じのかたも増えたとおもいます。




私もまだこの映画は観ていません。

これを機会に家族で鑑賞して、
いろいろ考えるきっかけにでもなればとおもっています。



ではでは、また。

141


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